嶋田物語の主人公・嶋田さんにはライバルがいる。名前を渡辺さん(40代後半)という。嶋田さんは彼をライバルと思っていない。渡辺さんも嶋田さんをライバルと思っていない。けれど、武漢に住む日本人社会では、彼らを武漢の日本人料理界のトラと龍。コブラとマングースのようだと表現する。いや、せいぜいカブトムシとクワガタだろうか。武漢の日本人料理界はとても狭い。数えるほどしかいないのだが、それは武漢に出店した日本人の多くが志半ばで夢破れ帰国していくからである。武漢といえど、独立開業は容易ではない。日本で開業するのと比べればはるかに易しいと思われるが、おそらく日本での開業と比べて10分の1くらいのリスクと資金、技術で可能と思われるが、恐ろしいことに武漢で開業・起業しようとする日本人の多くがほとんど準備なしに来ているのでたちが悪い。例えていうなら、中学校の運動会に出場してしまった小学生のようである。オリンピックではなく、武漢の飲食店は例えて言うなら公立中学校の運動会のようなレベルである。競技のレベルは高くない。しかし小学生では勝てない。幸いなことに、嶋田さんと渡辺さんは高校生くらいの実力があったのである。彼ら二人も十分な準備があったわけでなく、行き当たりばったり感満載であるが、それなりに成功しているように見える。少なくとも彼ら自身は幸せに仕事をしているようなので、それだけでも勝利じゃないかと思う。

渡辺さん

説明が長くなったが、私たち外野は、渡辺さんを嶋田さんのライバルと公認している。そんな渡辺さんを別の角度から簡単に紹介しよう。九州出身。調理師専門学校を卒業後、紆余曲折を経て右翼団体に入門。そこの組長であった斎藤さんに連れられて中国に来たのが10数年前。日本料理店はもとより、たこ焼き屋台や宅配弁当まで手掛け、右翼社会とは完全に手を切って料理一筋で生きている現在。それでも私がまだ武漢にいた4年前まではその日食べるのにも困るくらいの極貧暮らし。目の前にある人参を追いかけることに集中しすぎて迷子になってしまうタイプ。中国には「ゴマを拾ってスイカを失う」という言葉があるが、彼の人生はまさにそれであった。

判断力は子供並みだが、その才能は多岐に渡っている。屋台から料亭までを渡り歩いてきた放浪の職業人生が幸いして、どんな料理でもそれなりにこなす幅広さ。それ以上の調理的な技術がどうなのかは素人の私にはわからないが、私にもわかる最大の彼の才能はその芸人センスだろう。風貌は安岡力也。凄めば誰もが怯える迫力に、トークセンスは島田紳助の孫弟子くらいの実力はあるかと思う。その上必要があれば涙まで流せるという演技力。私が頑張っても敵わない人間を武漢の中で一人あげるとすれば渡辺さんかもしれない。良縁に恵まれて劇団にでも入っていれば、今頃はちょっとは名の知れた俳優にでもなっていただろうにと思うと残念でならない。現在がそれなりに幸せなのがせめてもの慰め。結婚歴3回、離婚歴3回。現在独身。彼女はいない。


渡辺店舗1

渡辺店舗2

現在は上記場所付近の『龍苑焼肉酒場』というちょっと高級な焼肉屋を共同経営している。

嶋田さんとの関係に話を戻そう。渡辺さんは料理の知識や技術はあるので、嶋田さんも最初は随分と頼りにしていたよう。ハンバーグカレーを作りたいというときには作り方を習ったりしていた。そもそもハンバーグの作り方も知らなかったのだから嶋田さんは調理師としては素人である。それでも私の帰国する4年前の時点では嶋田さんの圧勝。70歳オーバーという年齢に裏図けられた経験と経済力を活かし、利益はまずはお世話になった人々に分配するゆとり経営。自身はひたすら地味に生活をして善良なお爺ちゃんを演出。結果的に中国の若者の絶大な支持を受け売上を拡大。経営という点では嶋田さんに軍配が上がる。

ただし、人生という点では、3回の結婚を経て、つまり3人もの愛する女性と人生を誓った渡辺さん、一方で1度も結婚したことがない嶋田さん。渡辺さんの勝利だろう。しかし、私自身まだ独身なので既婚の苦しみは解らず、もし結婚したら、独身を貫く嶋田さんを幸せと考えるかもしれない。

嶋田さんはその後、ハンバーグ作りで苦労したらしく、親切丁寧に教えてくれなかった渡辺さんを今でも逆恨み。渡辺さんは嶋田さんのカレーを素人料理と風評被害を拡散中。第三者から見れば似た者同士の嶋田さんと渡辺さん。智慧の嶋田か才能の渡辺か。武漢を舞台にしたそんなに高くないレベルでの二人の人生劇はまだ始まったばかり。これからの二人の活躍を追い続けたい。