『東方見聞録』を著したマルコ・ポーロ。前回紹介したスパイ容疑者の岸田吟香とダブります。(【岸田吟香】中国テレビでの紹介
まずは『東方見聞録』の復習から。出典は『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』より
イタリア人マルコ・ポーロが,1271~95年の小アジアから中国にいたる内陸アジア,中国の各地方,および華南から海路ペルシア湾にいたる彼の旅行の見聞を口述してルスティケッロ・ダ・ピサが記した書物。各国語に訳されて広く読まれ,地理上の発見時代の糸口となった。
 
岸田吟香が初めて中国・上海に行ったのが1866年なので600年間ほどの時差があります。マルコ・ポーロも商人でありました。また、『東方見聞録』の記述には数値が多く記されているそうで、これは商人の文章の特徴の一つだそうです。

ちなみに、Wikipediaではマルコ・ポーロ・スパイ説も紹介されれている
2010年1月イランのハミード・バガーイー文化遺産観光庁長官は、国際シルクロード・シンポジウムにてマルコ・ポーロの旅には西洋が東洋の情報を収集して対抗するための諜報活動という側面があったという説を述べた。


Route_of_Marco_Polo
Wikipediaより

中国での経由地は下記の通り。(引用元:世界の歴史マップ)
ホータン (ホータン、中国) チャルチャン (チェルチェン、中国) 敦煌 (敦煌、中国) 寧夏 (インチョワン、中国) ハンバリク・大都 (北京にあった元の首都、中国) ヤンジュウ (揚州、中国) スージュウ (蘇州、中国) キンサイ (杭州、中国) ザイトゥン (泉州、中国) 

まとめると、マルコ・ポーロと岸田吟香の共通点
  1. 二人とも商人だった
  2. 二人とも数値を重視し、中国の調査を行なった
  3. 長期間中国に滞在した
日清戦争が起こらなかったなら、岸田吟香は中国で順調に商いをして、中国人と友好関係を続けて、記者であっただけに文章は達者であったので随筆の数冊でも残して、日本のマルコ・ポーロと言われていたかもしれない。なんだか残念と言うか気の毒な話である。