もはやなんと読んでいいのかもわからない知らない人の名前。この人が今回の嶋田さんからの調査依頼。奈良時代の人です。Wikipediaによると「遣唐使の判官として唐に渡るが、帰国の途中難船。はるか崑崙国(チャンパ王国、現在のベトナム中部沿海地方)にまで漂流したが、無事日本へ帰りついた。古代の日本人の中で最も広い世界を見たとされる人物である。」だそうです。

難破先の南の方から、最終的には現在の西安あたりにある当時の都の長安に行ったので、その途中で武漢も通過したのではないかと嶋田さんは考えました。だとすると、彼こそが最初に武漢の地を踏んだ日本人ということになります。なので嶋田さんは興味を持ってしまったようです。

しかし、当時の水運の経路を調べるのは一苦労。南から北上するにしても、恐らく船で川を上って来たのだろうけど、川の数も少なくないし、海を船で上ったかもしれないし。これから一つずつ中国の水運の経路を調べてみたいと思います。興味があるのでこれは調べます。

ただ、平群広成は大した役職があった訳でもないので、名前が出ている文献は『続日本紀』『三国史記』 『冊府元亀』 『全唐文』のみ。しかも、簡単に名前が出ていたというだけなので詳細は不明です。彼が武漢に来たかどうかは絶対にわからないと思う。